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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)11941号 判決

原告

東野美佐子

被告

加藤浩幸

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、一七六万九七二六円及びこれに対する昭和六〇年一一月三〇日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを六分し、その五を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

次の交通事故が発生した(以下、「本件事故」という。)。

(一) 日時 昭和六〇年一一月二九日 午後四時頃

(二) 場所 大阪府八尾市新家町二丁目一二番地先交差点(府道中央環状線と東西道路とが交差する交差点、新家町西交差点と称する、以下、「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(登録番号、泉五八そ二九〇号、以下「被告車」という。)

右運転者 被告加藤浩幸(以下、「被告浩幸」という。)

右保有者 被告加藤照夫(以下、「被告照夫」という。)

(四) 被害車両 足踏自転車(以下、「原告車」という。)

右運転者 原告

(五) 事故態様 被告浩幸が被告車を運転して、本件交差点を西から東に向かつて進行中、折から同交差点を南から北に向かつて横断しようとした原告車に、自車前部を衝突させ、その衝撃により原告車及び原告を路上に転倒させ、原告に傷害を負わせた。

2  責任原因

(一) 運行供用者責任

被告照夫は、本件事故当時、被告車を保有しこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠賞する責任がある。

(二) 不法行為責任

原告は、本件交差点を、対面青信号に従つて北から南へ向かつて横断していたのであるから、被告浩幸は、前方を注視し安全を確認して運転をする注意義務があるのに、これを怠り、対面信号の表示が既に三〇メートル以上手前で黄信号であるにもかかわらずこれを無視し、さらに、制限速度が時速二〇キロメートルであるにもかかわらず、時速三五キロメートルに加速したまま本件交差点を通過したため本件事故を発生させたものであるから、被告浩幸には、前方不注視、信号無視及び速度違反等の過失があるものというべく、従つて、被告浩幸は民法七〇九条に基づき本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  原告の受傷内容、治療経過、後遺障害

(一) 受傷内容及び治療経過

原告は、本件事故により、前額部打撲血腫・頚部捻挫、右膝部右臀部打撲、右足関節打撲等の傷害を負い、昭和六〇年一一月一九日から昭和六二年九月二五日まで延一年一〇ケ月六日(入院七〇日、実通院日数八七日)の治療を受けた。

(二) 後遺障害

原告は、右治療経過のとおり入通院したが右傷害は完治するに至らず、昭和六二年九月二五日、喜馬病院において、頭痛・左首のつけ根・左前胸部痛あり、首を右に曲げにくい、背中が痛い、右の握力が落ちている、右手が震えて細かい事ができず左手を誤つて切つたりする、頚椎部の可動域制限等の障害を残して症状が固定したとの診断を受けた。右後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表に定める第一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に相当する。

4  損害

(一) 治療費 合計一七六万四四六〇円

内訳 新井病院 七七万二二四〇円

喜馬病院 八三万四二二〇円

長生館脊椎矯正療院 一五万八〇〇〇円

(二) 入院雑費 九万一〇〇〇円

入院中一日当たり一三〇〇円の割合による七〇日分

(三) 交通費等 二万八九一〇円

(四) 休業損害 四六〇万二七九二円

原告は、本件事故当時、三七歳の健康な女子であり、主婦として家事労働に従事していたから、少なくとも、昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計の三五ないし三九歳・女子労働者の平均賃金年額二四八万八〇〇〇円(月額二〇万七三三三円)程度の収入があつたものと考えるのが相当であるところ、本件事故による受傷によつて、事故発生日である昭和六〇年一一月二九日から症状固定日である昭和六二年九月二五日まで(二二ケ月と六日)稼働できなかつたから、その間に合計四六〇万二七九二円の休業損害を被つた。

(算式)

2,488,000÷12=207,333

(207,333×22)+(207,333÷30×6)=4,602,792

(五) 慰謝料 合計四〇九万〇〇〇〇円

内訳 入通院分 二〇〇万〇〇〇〇円

後遺障害分 二〇九万〇〇〇〇円

(六) 後遺障害による逸失利益 二七六万七四〇二円

原告は、症状固定時、前記のとおり年額二四八万八〇〇〇円の収入を得ていたものとするのが相当であるところ、前記後遺障害のため、その労働能力を後遺障害残存期間である一〇年間(ホフマン係数七・九四五)にわたつて一四パーセント喪失したものであるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して症状固定時の現価を算出すると、二七六万七四〇二円の得べかりし利益を喪失したものというべきである。

(算式)

2,488,000×0.14×7.945=2,767,402

(七) 弁護士費用 八〇万〇〇〇〇円

(以上(一)ないし(七)の合計金額 一四一四万四五六四円)

5  損害の填補

原告は、自賠責保険から七五万円の支払いを受けたので、これらを前記損害合計額である一四一四万四五六四円から控除すると、残額は一三三九万四五六四円となる。

6  結論

よつて、原告は、被告に対し、右損害賠償金の内金一〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和六〇年一一月三〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実は、すべて認める。

2  請求原因2の(一)の事実は認める。同2の(二)の事実の内被告浩幸に速度違反の過失があつたことは認めるが、その余は否認する。

3  請求原因3の(一)の事実中、新井病院に限り受傷内容は認め、喜馬病院での診断名は否認し、治療経過及び同3の(二)の事実も否認する。

原告は、昭和六一年五月三一日頃までには症状固定しており、その後の長期治療は原告の心因的要素が寄与したものであるから因果関係はなく、仮に認められるとしても寄与度割合に応じて減額されるべきである。右割合は、昭和六一年六月一日以降同年一一月末日迄は三割、同年一二月一日以降昭和六二年三月末日までは五割、同年五月一日以降は八割とすべきである。

4  請求原因4の各事実は、いずれも否認する。

5  請求原因5の事実はすべて認める。

三  抗弁

1  消滅時効

本件事故は、昭和六〇年一一月二九日に発生したから、仮に被告らに何らかの責任があつたとしても、既に時効によつて消滅している。

2  過失相殺

本件事故は、被告浩幸が、対面信号が黄表示に変わつにもかかわらず、被告車を運転して時速三〇キロメートル(制限時速二〇キロメートル)で交差点に侵入したから、速度義務違反の不注意は免れないが、他方、原告も、交差点北側にはブロツク塀があり見通しが悪い状況であつたにもかかわらず、原告車に乗つたまま、突然、対面赤信号を無視して左方から被告車の直前に飛び出してきたため、被告車左前部角と原告車が衝突したものであるから、原告にも赤信号無視、左右確認義務違反及び見通しの悪い場所からの突然の飛び出しなどの重大な過失がある。

従つて、相互の過失割合は、原告七〇対被告浩幸三〇と解される。

3  損益相殺

(一) 原告は自賠責保険から七五万円を受領した。

(二) 被告らは、次のとおりの各医療機関に原告の治療費として合計額一五五万七二三五円を支払つた。

(1) 新井病院に対し、七七万二二三五円

(2) 喜馬病院に対し、六三万〇〇〇〇円

(3) 長生館脊椎矯正療院に対し、一五万五〇〇〇円

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1及び2は否認する。

2  抗弁3はすべて認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから引用する。

理由

一  本件交通事故の発生

請求原因1(交通事故の発生)及び同2(運行供用者責任及び不法行為責任)の各事実は当事者間に争いがない。

従つて、被告照夫は自賠法三条に基づき、被告浩幸は民法七〇九条に基づき、いずれも本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

二  原告の受傷内容、治療経過、後遺障害

請求原因3の(一)の事実(受傷内容・治療経過)中、新井病院における受傷内容は争いがないが、通院治療を受けた喜馬病院における傷病名、相当治療期間、後遺障害の存否・内容についても当事者間に争いがあるので検討する。

いずれも真正に成立したことにつき当事者間に争いのない甲第二ないし第四号証、乙第三、第五号証の各一、二、乙第四号証、乙第六ないし第八号証の各一ないし三、乙第九ないし第一二、第一四、第一五号証の各一ないし四、乙第一三、第一六号証の各一ないし五、及び原告本人尋問の結果(後記の採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば次のとおりの事実が認められ、原告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用し得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  治療経過

(一)  新井病院における治療経過

原告は、昭和六〇年一一月二九日の事故発生直後、大阪府八尾市美園町四―一五六―一所在の新井病院に緊急搬送され受信したが、その際、頭部、頚椎骨盤、右膝、左足関節、胸部、左下腿骨の各レントゲン検査を受けたところ、骨折部位はなかつたものの、頚椎の三番目と四番目に乱れが認められたため、前額部打撲血腫、頚部捻挫、右膝部右臀部打撲、左足関節打撲捻挫等の診断がなされたが、眩暈感及び後頭部痛が著明であつたため安静入院の指示が出されるとともに、ベツド安静での局所冷罨法及び頚椎固定施行等の治療が行われた。そこで、原告は当日から同年一二月二九日迄の三一日間右病院に入院し、内服薬や外用薬の投与、注射、点滴等の治療を受けた。

その他、入院中の同年一二月四日、原告はCT検査を受けたが頭蓋内に異常所見はなく、一二月六日からはホツトパツク及び牽引等の理学療法が開始されるようになり、同月二五日のEEG検査においても特に異常は認められず、一二月七日施行の肩甲上神経ブロツク、同月二〇日施行の星状神経ブロツク等の治療により症状が寛解してきたので一二月二九日退院となつた。退院後は、原告が自宅近くの喜馬病院に通院することを希望したため、新井病院の新井幸吉医師の紹介状及び同病院で撮影されたレントゲン写真やCT写真等を持参して喜馬病院に転医した。

(二)  喜馬病院における治療経過

原告は、昭和六一年一月六日に、喜馬病院を受診し、その際、頚部痛、時々頭部痛がある、両肩がこる、右下腿痛はあるが軽快等の訴えをしたが、レントゲンやCT検査は行つておらず、傷病名は頚椎捻挫とのみ診断がなされて、湿布処置、理学療法(マイクロ治療、マツサージ)等の治療が行われることとなり、同日より昭和六二年九月二五日迄通院治療を受けた(実通院日数は八七日)。

診断書及び診療報酬明細書(乙第六ないし第一六号証の各一ないし五)によれば、原告の主訴は頚部痛と肩こりであり、通院中の診断名は一貫して頚部捻挫のみであり、通院状況は、昭和六一年一月六日から同年三月三一日迄の実通院日数は一ケ月に四日ないし六日であり(ほぼ一週間に一回のペース)、治療内容については、投薬、静脈内注射、湿布処置(通院のたびごとに行われている。)、理学療法である。

同年四月一日から同年七月三一日迄の実通院日数は、一ケ月に二ないし三日と半減しており、治療内容については従前とほぼ同じであるが、静脈内注射がなくなつた(四月に一回あるのみ)。

同年八月一日から昭和六二年七月三一日迄の一年間の実通院日数は、一ケ月に二ないし七日と若干多い月がある他は従前と変らず、注射はなく、湿布処置も殆どなくなり(一一月、一二月、一月に各一回あるのみ)、投薬と理学療法のみの治療内容となつている。

ところが、右病院が症状固定日(同年九月二五日)と診断した当該月の九月と前月の八月だけ、実通院日数が各八日と増えており、診断書に「右手のふるえ」の新な訴えの記載が加えられ、二月以降施行されなかつた湿布処置が行われている。

診療録(乙第四号証)によつても原告の主訴及び治療内容は前記記載のとおりであるが、昭和六一年三月二四日欄に「大分よい」、同年八月九日欄に「経過順調」、昭和六二年三月一四日欄に「症状固定」の記載が認められ、同年四月八日欄に、担当医師により「本人は六月頃まで治療したいと言つてますが、診療実日数が少なすぎますし、もう打ち切るべきではないかと思います。」と記載されている。

被告訴訟代理人藤木久弁護士の照会に対する右病院の喜馬通医師の回答書(乙第三号証の一、二)によつても、「昭和六二年三月一四日に一度症状固定を病院の方では考えました。」と回答している。

(三)  長生館脊椎矯正療院における治療経過

原告は、喜馬病院に通院するのと並行して、昭和六一年一月七日から昭和六二年五月一五日まで通院し(実通院日数は五二日)、整体マツサージ及び脊椎矯正の治療を受け、経過良好となつて中止となつた。

(四)  まず、後記四における認定事実(事故状況)によれば、原告は衝突後衝突地点から約一・六メートルの地点に転倒しており、遠方へ跳ね飛ばされたのではないこと、被告車の損傷は擦過痕とフエンダーミラーの曲損であり、凹損は生じてはおらず、原告車も前カゴの曲損とライトが割れた程度であり、両車両の損傷は比較的軽微であること等から、原告が激しく被告車と衝突したものとは認めがたい。

また、前項の認定事実(治療経過)によれば、原告の受傷内容は骨折を伴わない血腫、打撲、捻挫を主としたもので一般的に重症とは言い難いこと、初期の絶対安静も約一週間程度で終わり理学療法が開始されていること、頭部CT検査及びEEG検査により異常所見は認められておらないこと、後頭部痛は強く訴えていたことは認められるが、それも二回の神経ブロツク施行により寛解し順調に退院できていること、通院後の診断名は頚部捻挫のみでありその他の外傷の診断名は記載されていないこと、通院初診時における原告の訴えは頚部痛、時々頭痛、両肩がこる、右下腿痛は軽快とあること等から、退院時には頚部捻挫の症状を除くその他の症状は治癒したかもしくは治癒にちかい程度にまで軽快したことが認められる。

ところで、被告は、原告の長期にわたる通院治療のうち本件事故と相当因果関係にある治療の相当性を争うので、以下検討する。

前記認定のとおり、新井病院におけるレントゲン検査ではC3―4に異常所見がみられ、症状も著明ではあつたが退院時には軽快していること、喜馬病院初診時における訴えは前述したとおりの内容であり強い訴えとはいいがたいこと、通院頻度が少ないこと、治療内容も当初から湿布処置と理学療法が中心であること、湿布処置は昭和六二年一月を最後に以後六ケ月間行われていないこと、同年三月一四日には医師は症状固定を考えていたこと、同年四月には治療打切りも考えられたこと、しかるに原告の希望により治療が継続されたけれど治療内容に変化はなく漫然同一の治療が繰り返されたものの症状の改善はみられず、逆に、症状固定当該月に近ずくと手のふるえなどの新たな訴えをしたり、通院回数が増えたり、湿布処置がなされたりするなど受診態度が不自然であること、長生館脊椎矯正療院での治療が同年五月一五日に経過良好の診断のもとに中止されていること等を合わせ考慮すると、どんなに遅くとも昭和六二年五月末日をもつて原告の症状は固定したと認めるのが相当である。尚、原告の心因的要素が関与した証拠は認められない。

2  後遺障害

(一)  原告は、前記治療経過のとおりの治療を受けたものの完治するに至らず、昭和六二年九月二五日、喜馬病院の喜馬通医師により次のとおりの後遺障害が残存した旨の診断(甲第二号証)がなされた。

その内容は自覚症状として、頭痛、左首つけ根・左前胸部痛、背痛、首を右に曲げにくい、右眼の視力低下、右手のふるえ等の訴えがあり、他覚症状として、レントゲン検査によれば頚椎三、四、五番目間に軽度のずれが認められ、脳波は頭頂を中心として鋭波の出現があるが、棘波はないので軽度の異常と認め、サーモグラフイーにて右肩と右首に温度低下があり、右眼の視力は〇・六に低下、握力は左右共に低下、頚椎の可動域に制限が認められ、その結果、右医師は頑固な神経症状を残すとの意見を付記している。

右後遺障害につき、自賠責保険では第一四級一〇号の認定がなされた。

(二)  前項で認定した本件事故の状況、原告の受傷内容及び程度、治療の内容及び経過、通院期間の長期に比して通院頻度の少なさに鑑みれば、原告の症状が症状固定時に頑固な神経症状を残したとは認めがたく、何らかの神経症状が残存したとしても、自賠法施行令二条別表後遺障害等級認定表に定める第一四級一〇号(局部に神経症状をのこすもの)に該当する後遺障害が残存したと認めるのが相当である。

尚、喜馬病院では当初から相当長期間殆ど検査は行つておらず、症状固定もしくは治療打切りを考えた昭和六二年四月以降に前記(一)記載のような詳細な検査を施行しているが、その後の治療内容に変化はなく、症状に改善もみられないことから、右医師の意見をそのまま措信することはできない。

三  損害

そこで、原告の被つた損害について判断する。

1  治療費 一四六万八一六〇円

前掲甲第三、第四号証、乙第六ないし第一五号証の各二ないし五及び原告本人尋問の結果によれば、原告が、受傷日の昭和六〇年一一月二九日から症状固定日の昭和六二年五月末日迄に要した本件事故と相当因果関係にある治療費は新井病院につき七七万二二四〇円、喜馬病院につき五三万七九二〇円、長生館脊椎矯正療院につき一五万八〇〇〇円の合計一四六万八一六〇円となる。

2  入院雑費 四万〇三〇〇円

前記認定のとおり、原告が三一日間入院治療を受けたことが認められるところ、右入院期間中入院雑費として一日当たり一三〇〇円程度の支出をしたものと推認されるから合計四万〇三〇〇円を相当損害と認めることができる。

3  交通費 〇円

原告本人尋問の結果によれば、喜馬病院へは自宅から徒歩三分のところにあり、その他、原告が交通費を要したことを認めるに足りる証拠はないから認められない。

4  休業損害 一五八万六一八四円

前記二における認定事実及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和二三年九月三〇日生まれの、本件事故当時満三七才の健康な女子であり、主婦として家事労働をしていたから、本件事故さえなければ少なくとも原告の年齢に対応する昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計の三五ないし三九才・女子労働者の平均賃金年額二四八万八〇〇〇円程度の収入を得ていたものと認めるのが相当である。

又、事故と相当因果関係にある休業期間については、受傷日の昭和六〇年一一月二九日から退院開始の前日である昭和六一年一月五日迄の三八日間は全く就労が不可能であつたと認めるのが相当であるが、通院開始日の同年一月六日から同年七月末日迄の二〇七日間は、前記認定のとおり、原告の症状の程度、通院頻度、治療内容(投薬、注射、湿布処置、理学療法)、家事労働の内容と程度等を合わせ考慮すると全く就労が不可能とも認め難く、五割の就労は可能になつたものと認めるのが相当であり、さらに、同年八月一日から症状固定日の昭和六二年五月末日迄の三〇四日は通院頻度が極少になつた月もあること、治療内容(注射はなく、湿布処置も殆どなくなり、投薬と理学療法が中心)と原告の症状の改善を考慮すると七割の就労可能を認めるのが相当である。

従つて、原告の被つた休業損害合計額は一五八万六一八四円となる。

(算式)

2,488,000÷365×38×1.0=259,024

2,488,000÷365×207×0.5=705,501

2,488,000÷365×304×0.3=621,659

259,024+705,501+621,659=1,586,184

5  逸失利益 二三万一五五八円

原告は前記認定の症状固定日である昭和六二年五月末日において満三八才の主婦であり、その稼働内容からすると、逸失利益算出の基礎収入はその年齢に対応する前項と同様の賃金センサス平均賃金年額二四八万八〇〇〇円程度とするのが相当であるところ、前記認定の後遺障害の内容(局部に神経症状を残すもの。)及び程度(自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表に定める一四級一〇号に相当する。)によれば、症状固定時から二年間にわたりその労働能力の五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。そこで、右数値を基礎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の後遺障害による逸失利益の現価を算出すると、二三万一五五八円となる。

(算式)

2,488,000÷0.05×1.8614=231,558

6  慰謝料 一五七万〇〇〇〇円

前認定の原告の傷害の内容と程度、入通院期間(通院実日数)、治療内容、後遺障害の内容と程度、本件事故の態様その他本件にあらわれた諸般の事情を総合考慮すると、本件事故によつて原告が被つた肉体的・精神的苦痛を慰謝すべき慰謝料としては入通院中のそれとして九〇万円、後遺障害のそれとして六七万円の合計一五七万円をもつて相当であると認める。

(以上1ないし6の合計金額 四八九万六二〇二円)

四  消滅時効の抗弁について

不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点となる被害者が「損害を知つた」といいうるためには、被害者が何らかの損害が生ずることを認識しただけでは足りず、社会通念上その損害額の大要を算定しうる程度に、被害者が右算定の根拠となる事実を認識することを要すると解すべきところ、原告が右事実を認識したのは、前記認定のとおり、喜馬通医師が、原告の症状につき症状固定はしたものの後遺障害が残存したとし、その内容・程度についても診断をなした昭和六二年九月二五日であることが認められるから、右時期より消滅時効は進行したが、昭和六三年一二月二二日に本訴の提起により中断されたものというべく、したがつて、被告の抗弁は採用できない。

五  過失相殺

前記争いのない事実に、いずれも真正に成立したことにつき当事者間に争いのない乙第一号証の一ないし一五、原告及び被告浩幸本人尋問の各結果(後記の採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば次のとおりの事実が認められ、原告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用し得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件事故現場交差点の状況は、概略別紙図面のとおりで、南北道路(府道中央環状線、以下、「甲道路」という。)と、片側一車線(東行車線の幅員は約二・八メートル、西行車線の幅員は約二・九メートル)の東西道路(以下、「乙道路」という。)とが交差する交差点であり、右甲道路の西側には、幅員約二・五メートルの自転車道とその外側にさらに幅員約三・二メートルの歩道が設けられ、乙道路には交差点より約八・五メートル手前に停止線が引かれてあつた。

本件交差点は、市街地にあるアスフアルト舗装された平坦な道路で、事故当時の天候は晴れで路面は乾燥しており、交通量は頻繁であり、乙道路の制限速度は時速二〇キロメートルと規制されており、見通しについては、原告車及び被告車からの前方はいずれも良好だが、本件交差点の北西角にある高さ約二メートルのブロツク塀のため、原告車からの右方と被告車からの左方の見通しはいずれも不良であつた。路面にはスリツプ痕は残されていなかつた。

本件事故は、甲道路と乙道路とが交差する本件交差点西詰に設置されてある甲道路の自転車横断帯上で発生した。

被告車は、車長約四・二二メートル、車幅約一・六一メートル、車高約一・三八メートルであり、その車体の損傷状況は、左前バンパーの車体左端から約〇・五メートルの擦過痕があり、左前フエンダーミラーが曲損していた。

原告車は、車長約一・五五メートル、車幅約〇・六五メートル、車高約一・〇五メートルであり、その車体の損傷状況は、前カゴが曲損し、ライトが割れていた。

2  本件交差点は、甲道路及び乙道路にそれぞれ車両用と歩行者用の各信号機が設置され、これによる交通整理の行われている交差点であるが、右信号機の周期及び表示については、本件事故当時、いずれも一周期一五〇秒であり、甲道路の信号表示については、車両用及び歩行者用信号(以下、「A信号」という。)のいずれもが赤五〇秒、全赤四秒、青九三秒、黄三秒の順に移行し、他方乙道路の車両用信号(以下、「B信号」という。)は、甲道路の信号表示に対応して、青四七秒、黄三秒、全赤四秒、赤九六秒の順に、乙道路の歩行者用信号(以下、「C信号」という。)は、青三三秒、青点滅七秒、赤一〇秒、全赤四秒、赤九六秒の順にそれぞれ移行した。

3  被告浩幸は、助手席に訴外金井邦弥を同乗させて、被告車を運転し、乙道路のうち東行車線を西から東に向かつて時速約三〇キロメートルの速度で進行中、本件交差点手前に引かれてある停止線より約二〇・〇メートル手前の別紙図面〈1〉地点にさしかかつたとき、対面のA信号が青から黄に変わるのを確認したけれども、黄のまま交差点内を通過できるものと思い、速度を時速約三五キロメートルに加速して、停止線で停止することなく進行し、前記〈1〉地点から約二五・二メートル進行した同図面〈2〉地点に達したところ、自車より左前方約九・〇メートルの同図面ア地点に原告車が北から南に向かつて進行してきており、同車は停止することなくそのまま交差点内に進入しようとしているのを発見したので、危険を感じて直ちにハンドルを右に転把するとともに制動措置をとつたが間にあわず、〈2〉地点から約八・七メートル進行した同図面〈3〉地点に達したとき、ア地点から約三・一メートル進行した同図面イ地点に達した原告車前部と被告車左前角部とが衝突するに到り、この衝突の衝撃により、原告は衝突地点イから東方へ約一・六メートルの同図面ウ地点に転倒し、被告車は衝突地点〈3〉から東方へ約四・八メートル進行した同図面〈4〉地点に停止した。

被告車が〈2〉地点から〈3〉地点に進行する間、本件交差点に進入した地点辺りで対面B信号は黄から赤に変わつたが、被告浩幸はこれを無視もしくは見落としたまま交差点内に進入した。

被告は、友人宅から帰宅途中であつたが、早く家に帰るべき用事があり急いでいた。

4  他方、原告は原告車に乗り、原告の子である訴外東野栄(昭和四九年一〇月一三日生まれ、本件事故当時一一才)も足踏自転車に乗つて原告車の後方約二メートルに追従し、甲道路の西側に設置されてある自転車道を北から南へ向かつて進行し、本件交差点北西角にさしかかつたところ、対面A信号が赤を表示しているにもかかわらず、これを無視もしくは見落としたまま別紙図面ア地点から交差点内の自転車横断帯上に進入して本件事故に遭遇したものである。

原告は、訴外東野栄を病院に連れて行く途中であり、急いでいた。

尚、被告らは、被告浩幸は黄で交差点に進入したから信号無視もしくは見落としはなく、むしろ原告こそ対面赤信号を無視もしくは見落として同交差点に進入したから原告の過失は大きく、七割の過失相殺がなされるべき旨主張し、右主張に副う被告浩幸の供述及び供述記載があるのに対し、原告は原告に信号無視もしくは見落としはなく、被告浩幸こそ赤信号無視がある旨主張して争うので、以下のとおり検討する。

まず、被告浩幸の信号無視もしくは見落としの有無につき検討する。

前記認定のとおり、被告浩幸は、停止線手前約二〇・〇メートルの〈1〉地点でB信号が青から黄に変わるのを確認し、同時に速度を時速三〇キロメートルから三五キロメートル(秒速約九・七メートル)に加速したのであるところ、〈1〉地点から本件交差点西詰の進入線迄およそ二八・五メートルあるから、被告車の〈1〉地点から右進入線までの所要時間は約二・九三秒かかることになり、前記認定の信号周期表示によると被告車の対面B信号の黄は三秒間であるから、被告車が本件交差点に進入したときに、丁度対面B信号は黄から赤に変わつたことが認められる(もつとも、被告車は〈2〉地点に達したときに制動措置を執つているが、普通乗用自動車が時速三五キロメートルの速度で走行していた場合の乾燥した舗装道路における空走距離は約七メートルとされているところ、〈2〉地点から交差点進入線までは約三・三メートル程度しかなく右空走距離の範囲内であるから、まだ制動の効果はあらわれてはおらず、被告車が交差点に進入したときはいまだ速度は低下せず時速約三五キロメートルのままであつたと考えられる。)。

従つて、被告浩幸は、対面赤信号を無視もしくは見落としたまま交差点内に進入したことが認められるのであり、被告車が〈3〉地点に進行して原告車と衝突したときは当然B信号は赤であつたことが認められる。

被告車の同乗者である訴外金井邦弥の供述記載(乙第一号証の一〇)においても、黄を見てから距離があつたから事故当時は赤に変わつていたとあり、両車両は全赤の状態で衝突したとあり、右事実に副うものである。

次に、原告の信号無視もしくは見落としの有無について検討する。

前述したとおり、本件事故発生時には被告対面のB信号は赤であつたのであるが、このとき前記認定の信号周期表示によれば、東西歩行者用のC信号も原告の対面A信号も赤であり、即ち、交差点の各信号が全赤(四秒間)の状態のとき本件事故は発生したことになる。

そして、被告車が交差点内に進入したとき赤に変わり、本件事故発生時に全赤であるなら、原告の衝突した地点であるイ地点が交差点内にわずかに約一・〇メートル進入した地点であることから考えると、原告車が交差点内に進入しようとしたときには対面A信号は赤であつたと推認できるのである。

原告の供述記載(乙第一号証の八)において、「私の道路上の信号は交差点にさしかかるまでに赤色であつたのは分かつていたのですが、東行の信号が赤色であることから私の進路上の信号も青になるだろうと思いながらそのまま赤色で横断歩道に入つたところ・・・」とあり、「私の落度は対面の信号が赤色にもかかわらず、もうすぐ変わるだろうと思い青色を待たずして赤色で横断歩道内に入つたことです。」とあり、赤で進入したことを認めていることとも合致する。

原告本人尋問においても、原告は別紙図面ア地点で対面A信号が赤であつたことは確認しておりながら、その後、交差点を渡ろうとしたとき対面A信号の青色を確認したとは明言しておらず、B信号が赤であるのをみて渡り始めたと供述しているのであるから、対面A信号がまだ赤の間に見込み進入した事実を否定することはできない。

又、原告の子である訴外東野栄の供述記載(乙第一号証の九)においても、原告は対面信号が赤であるにもかかわらず停止することなく交差点内に進入したことを認めており、このとき東西車両信号も赤であつたと供述しており、同人は事故当時一一歳の少年ではあつたが、右供述調書は父の訴外東野卓次立会いのもとに事情聴取され作成されたものであること、さらに、右調書の作成(昭和六〇年一一月二九日)は、信号周期表示等の捜査報告書(乙第一一号証の一二)の作成(昭和六〇年一二月二日)より前になされていること等から、予め信号周期の内容を知つていた捜査官によつて誘導されたものとは認めがたく、したがつて右調書の信憑性は高く、信用できるものと考えられる。

以上により、原告及び被告浩幸の双方は、共に先を急ぐ余り、対面信号を無視もしくは見落としたまま交差点に進入したことになる。

前記認定事実によれば、被告が対面B信号が青から黄に変わるのを認めたとき停止線まで約二〇・〇メートルの距離があり、時速約三〇キロメートルの速度を直ちに減速しておれば充分停止線で停止できたのであるから(ちなみに、急制動措置を執つた場合の停止距離は約一一メートルである。)、停止線で停止すべき注意義務があつたというべきところ、被告浩幸は減速をせず、逆に時速約三五キロメートルに加速し、制限速度を一五キロメートルも超過した速度で交差点を通過しようとし、その後に対面B信号が黄から赤に変わつたのを無視もしくは見落としたまま、漫然、交差点内に進入した過失があることが認められ、本件事故発生の原因は、これらの被告浩幸の制限速度超過及び信号無視もしくは見落としの各過失によるものと言わざるを得ないが、他方、原告にも、前記認定のとおり、見通しの悪い交差点での信号無視もしくは見落としという無視すべからざる危険な行為によつて本件事故を惹起させた過失があるが、原告車が足踏自転車であることと、自転車横断帯における事故であつたことの諸事情を斟酌して、右原告の過失を前記被告浩幸の過失と対比して考慮すると、前記認定の損害合計額四八九万六二〇二円から二割を減ずるのが相当である。

従つて、原告が被告らに請求できる金額は、三九一万六九六一円となる。

六  損害の填補

原告が、自賠責保険から七五万円の支払いを受けていること、被告らが原告の治療費として、新井病院に対し七七万二二三五円、喜馬病院に対し六三万円、長生館脊椎矯正療院に対し一五万五〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争いがないところ、前記損害額三九一万六九六一円から右填補合計額二三〇万七二三五円を差し引くと、一六〇万九七二六円となる。

七  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告が本訴の提起及び追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任しその費用及び報酬の支払いを約していることが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対し本件事故と相当因果関係にある損害として賠償を求めうる弁護士費用は一六万円と認めるのが相当である。

八  結論

以上の次第で、原告の被告らに対する請求は前記一六〇万九七二六円に弁護士費用一六万円を加えた合計一七六万九七二六円及び右金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和六〇年一一月三〇日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 阿部靜枝)

別紙 〈省略〉

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